東日本大震災から3年―災害看護の活動を続けている高知県立大学大学院・中山洋子教授へのインタビュー

★東日本大震災から3年―災害看護の活動を続けている高知県立大学大学院・中山洋子教授へのインタビュー

●読売新聞ヨミドクターで、東日本大震災のときに福島で被災者の救命など看護活動を行い、その後も中長期に渡って活動を行っている中山洋子教授へのインタビューを読みました。

今日は2014年3月11日、東日本大震災からちょうど3年がたちました。

埼玉県に住む私としては、宮城県や福島県など大きな被災を被った方々から比べたら偉そうなことを言える身分ではありません。それでも震度5弱の地震に遭遇し都心は大混乱。帰宅困難者が続出する中、当時3歳だったわが子のことを心配するも連絡が取れない状況に、ただただ不安を覚えたことを昨日のように思い出します。

そんな中、中山教授のように今なお地道に活動している方がいること、心より尊敬し、心から感謝し、心より誇りに思います。このような活動が未来の災害看護のより大きな礎(いしずえ)になることを確信しています。

a nurse holding a symbol of heart

(参考記事 読売新聞 ヨミドクター)

災害時、被災者の救命、看護や健康チェック、心のケアなどを広範囲に受け持つ「災害看護」。行政、医療機関と連携して発生直後から中長期にわたって被災者に寄り添う活動は、阪神大震災(1995年)をきっかけに注目され、年々重要性が増している。

 福島県での健康調査活動などを通じて、東日本大震災の被災者を発生直後から支援している県立大大学院の中山洋子教授(災害看護学)に、当時の取り組みや、南海トラフ巨大地震への身近な対策を聞いた。

 ●東日本大震災直後は避難所医療、今は福島県民の健康調査にかかわっておられますね。

 震災から約3週間後に、当時教授を務めていた福島県立医科大の看護師、医師で「心のケアチーム」を作りました。東京電力福島第一原子力発電所にも近い「相双地区」の避難所を巡回し、被災者の健康チェック、相談を行いました。

 当時、地区全域の精神科の病院が閉鎖されていましたが、地元の人たちからの診療を希望する声が強かったんです。そこで、公立相馬病院での精神外来クリニックの臨時開設に携わり、自治体や病院、医療チームの橋渡し役を務めました。現場へ向かったチームは、地元の保健師と協力して奮闘してくれました。

 高知に移った今も、福島県民の心身健康調査にもかかわり、データを検証し、被災者の電話相談を行っています。

 ●救護現場や健康調査活動などを通して感じた難しさは。

 被災と同時に、日常が全く変わるんです。「非日常」の中で日々生活を続けていかなければならないんですが、それぞれの人が抱える事情や心境は様々。「元気になって再び前に進もう」と考えるようになるまで、それぞれのペースがあるんです。災害看護に携わる者は、それにどう“伴走”するかが大切なんだと思いました。

 ●被災者に“伴走”し、寄り添うには何が必要なのでしょう。

 避難所巡回で血圧や脈を測り、手を握りながら「困っていることはありませんか」と問いかけると、心を開いてくれる被災者もおられます。看護業務は日常でもいろんな患者から話を聞くんです。特別なことをするのではなく、日々の経験を、災害支援の場でもしっかりと生かすことが大切なんだと確信しました。

 ●今後発生が予想される南海トラフ巨大地震に向け、災害看護の視点から取り組むべきことは。

 重要なのは、避難所や仮設住宅で孤立してしまう人を出さないこと。そのためにも、日頃から住民間でネットワークを作っておく必要があります。

 私は学生時代、高知で過ごしました。高知の人の明るくて、人なつっこい気風は、「孤立している人を出さない」という災害対策に結びつくと思います。普段のおしゃべりや付き合いを通じて、近所の人の生活ぶりや家庭事情、体の具合などを知っておいてもらえれば、災害時の大切な情報になるんです。一方で、我々も地域の保健師らと情報交換しながら、被災した場合、どのような看護やケアが必要かをしっかりと考え、計画を練るなど準備を進めていかなければならないと考えています。

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